エイミー・E・ハーマン 著 | 岡本 由香子 訳 | 早川書房 | 368p | 2,500円(税別)

1.観察
2.分析
3.伝達
4.応用

 「観察」は、思考や推測、判断、コミュニケーションの基盤となる。物事の特徴や特性を正確に把握することができなければ、誤った判断により重大な結果を招くこともある。ビジネスや日常生活のさまざまな場面で観察力は大きな武器になりうる。本書では、絵画をはじめとするアート作品を見ることで観察力を磨き、情報収集をして判断やコミュニケーションに結びつける方法を説く。先入観をもたずにアート作品に何が描かれているか、表現されているものは何か、などを細部にわたり時間をかけて観察するというものだ。美術史家で弁護士でもある著者は、自身が開発したこのメソッドを「知覚の技法」と呼び、FBIやCIA、ニューヨーク市警、米軍、大手企業などでセミナーを実施。きわめて効果的な技法として高く評価されている。


アートは消えないため、観察したことを何度でも検証できる

 研ぎすまされた観察力は、事の大小を問わず、人生のあらゆる場面で役に立つ。偉大な発見は往々にして、すでにあるものから生まれる。山歩きが好きなスイス人のジョルジュ・デ・メストラルは草の実がくっついた靴下を見て、面ファスナーのアイデアを思いついた。レオナルド・ダ・ヴィンチが科学や芸術分野で数々の偉業を残したのも、観察力のおかげだ。

 私の講義には、FBIの職員や情報分析員や、フォーチュン500にリストアップされた企業の社員が大勢参加するが、みなさんにも彼らと同じことをしてもらう。つまり、アートを学ぶのだ。アートのよさは、まさに何百年も前からあることなのだ。アートは消えない。

 たとえば人間の行動を研究する際、どこか町中で人間観察をすることもできるだろう。だが、通行人が視界から消えたあとはどうだ。自分の推測が正しかったかどうかわからずじまいになる。そこへいくとアートには答えがある。描かれているのが誰(または何)で、いつの時代の、どこで起きた出来事で、どうしてそういうポーズをしているのかがわかっている。アートとは“途方もない量の経験と情報の蓄積”だ。私たちの観察力、分析力、コミュニケーション力を鍛えるのに必要なすべてを備えている。

 アートを教材にすれば、複雑な状況はもちろん、一見すると単純だが、実は深い意味を持つ場面も分析できる。自由な解釈が許されるのもアートのすばらしさだ。

 観察力やコミュニケーション能力を高めるのに専門知識は必要ないし、逆に専門知識が邪魔をして純粋に作品を見られないということもある。私のセミナーでは、画家の筆遣いや、配色や、作成年代について学ぶわけではない。アートはあくまで視覚教材であって、見たままを──もっといえば、自分が見たと思うままを語ればいい。

主観で物事を歪めずに、できるだけ多くの視点で見る

 さっそく、1枚を見てみよう。見えたものをリストアップしよう。紙に書いてもいい。時間はたっぷりある。描かれているのはどんな場面だろう。人間関係は? そして部屋のなかには何があるだろう。最後に、この絵を見て、どんな疑問がわくだろう。

 絵のなかにはふたりの人物が描かれている。ひとりが立っていて、ひとりが座っていることはすぐにわかる。しかし細かい部分や、さまざまな関係性を読みとるには時間が必要だ。

 座っている女性の膝にオレンジ色の腰帯が垂れているのに気づいただろうか。彼女が右手に羽ペンを持っていることには? 画面の左側で、テーブルクロスがしわになっていることは? 立っている女性は召使? それとも友人? ひょっとして母親? 立っている女性の肌が座っている女性の肌と同じようにすべすべしているので、ふたりは同年代だと推測される。よって母娘の可能性は消える。続いて立っている女性の質素な服装に注目しよう。彼女は貴金属もつけていないし、髪もしゃれっ気なく、うしろでまとめてある。そこから、ふたりは同じ社会階層に属していないと推測できる。さらに細かく見ていくと、立っている女性の右手は水仕事で赤くなっていて、袖で守られている腕の肌色とはちがうことがわかる。

 知覚とは、観察によって集めた情報を解釈する働きであり、自分の内にあるフィルターのようなものだ。フィルターを通すと、現実に色がついたり、ぼやけたり、都合よく修正されたりする。現実は、そうやって個々の見方に変化する。知覚フィルターは、個人の経験によって形づくられる。あなたと同じフィルターを持つ人はひとりとしていない。

 自分の見方が正しいかどうか疑うことをやめてしまったら、隠れた事実を見逃す危険性がある。自分が見たものについて、他人の知覚を確かめることが必要だ。他人の知覚をどうやって確かめればいいかって? それこそ身近にあるアートに目を向ければいい。とくに現代のアーティストが手掛けた彫刻やインスタレーションに対する世間の反応に、耳を傾けよう。

 忘れてならないのは、主観が“真実”を歪める場合もあるということ。同じ個展に出かけても、人によって見るものはちがう。さびついた鎌は、ある人にとっては豊穣の印だが、別の人にとっては破壊の象徴となる。どちらが正しいのか。どちらも正しくない。展示に明記されていないかぎり、証明できない。客観的かつ正確な答えは“さびた鎌は、さびた鎌”であり、それ以外のどんな形容も、事実を歪めるものでしかない。

 物事を正確に理解するには、できるだけ多くの情報を集め、できるだけ多くの視点で見ることが大事だ。得た情報を整理し、優先順位をつけ、意味を解読する。まとめると、次のようになる。まず自分の目で見る→既存の情報や意見を参考にする→もう一度、自分の目で見る。基本は二度見ること。一度目は外部の情報なしに、二度目は外部の情報をとりいれたうえで、改めて見る。

優先順位をつけて専念し、疲れたら休憩をとりながら見る

 次のふたつの説明を読んだら、どちらのほうが客観的だと思うだろう。
(1)孤独な女性がひとり、コーヒーショップで、大理石の白い丸テーブルについている。
(2)口を閉じ、視線を落とした女性が、カップを手にし、白い皿ののった、天板が白い丸テーブルにひとりで向かっている。

 どちらも同じ場面を表している。しかし、最初の説明は女性を孤独と決めつけている。これは女性の様子を主観的に憶測したものであり、事実ではない。最初の説明はまた、女性がコーヒーショップにいると断言している。ふたつ目は女性がカップを持っているという事実のみを述べていて、カップの内容物(入っているとすれば)や、女性がいる場所を特定していない。

 主観と客観の差は、たとえわずかであっても重大だ。“大理石の白い丸テーブル”という説明と、“天板が白い丸テーブル”という説明の差はわずかかもしれない。しかしテーブルが大理石でできているかどうかはわからないので、最初の説明は憶測になる。推測は早い段階で混じるほど観察結果を歪めるため、観察の初期においてはとくに注意しなくてはならない。

 私は細部を見るための戦略にCOBRA(コブラ)というコードネームをつけた。COBRAの文字はそれぞれ、紛れているもの(Camouflaged)、ひとつ(One)、休憩(Break)、見直し(Realign)、意見を聞く(Ask)を意味している。つまり細部を見る際は、紛れているものを探し、ひとつの仕事に専念し、疲れたら休憩をとって、期待を見直し、他者の意見を聞くことが大事なのである。

 自分の優先順位を把握することはとても大切だ。集めた情報すべてを追いかけるのは、肉体的にも精神的にも無理があって、少なくとも一度にすべてを処理することはできない。意識して優先順位をつけなければ、脳が、生来の偏りに基づいて勝手に選択することになり、それが致命的なミスにつながることもある。

 優先順位をつける際は、手に入った情報を見わたして、いちばん大事なものを先頭に置く。ただし、情報に漏れがないことが前提だ。情報収集が完璧にできて初めて、重要度の低いものを削ることができる。

 優先順位は人によって、また状況によって変わる。リチャード・J・ホイヤーが執筆したCIAの訓練マニュアル『情報分析の心理』で紹介されている三面アプローチでは、集めた情報のなかから重要度の高いものを抽出するために、自分に三つの質問をする。私は何を知っているか、私は何を知らないか、そして何を知らなければならないか、である。

コメント

本書で方法が紹介されている、主観をできるだけ排して物事の客観的事実だけを観察し、表現する力は、「人を動かす」うえできわめて重要なのだろう。『米軍式 人を動かすマネジメント』(日本経済新聞出版社)では、近年米軍で取り入れられているOODAというメソッドが紹介されているが、その最初の「O」は「観察(Observe)」を示している。客観的事実だけを示し、それをもとに思考していることが周囲に理解されれば、発言や決断に説得力をもたせることができる。「間違っているのでは?」「偏っているのでは?」といった疑念を抱かせないことが、人を動かすための基本といえるのではないか。

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