野矢 茂樹 著 | 山川出版社 | 288p | 1,800円(税別)

1.相手のことを考える
2.事実なのか考えなのか
3.言いたいことを整理する
4.きちんとつなげる
5.文章の幹を捉える
6.そう主張する根拠は何か
7.的確な質問をする
8.反論する

【要旨】日常のコミュニケーションで、どうも話が噛み合わなかったり、相手の言いたいことが理解できない、あるいは自分の意図がうまく伝わらないといった経験は、誰しもあるだろう。またビジネスでも、会議や打ち合わせ、商談といった場面で、議論が前に進まなかったり、反論ができず、もどかしい思いをしたことが、きっとあるはずだ。本書では、そうした悩みを解決する「国語力」を鍛える。とりわけ重要な「論理力」を、日本語による会話や読み書きに関する著者オリジナルの多数の練習問題を解き、その解説・解答を読むことで身につけられる。著者は東京大学大学院総合文化研究科教授で哲学を専攻。『論理学』(東京大学出版会)、『哲学の謎』(講談社現代新書)、『新版論理トレーニング』(産業図書)など、哲学・論理学に関する著書が多数ある。


「推測」「意見」からなる「考え」と「事実」を分けて表現する

 「事実」とは何か、それは「考え」とどう違うのか。とりあえず、事実とは、「その正しさがすでに確定していることがら」と言えるだろう。はっきりしない場合には、「……だろう」とか「……だと思う」とか「私の考えでは」といった言い方をして、それが自分の考えであることをはっきり示さなければならない。

 考えを述べる場合、それはさらに「推測」と「意見」に区別される。推測は、事実だと思われるが、まだ不確かであることを述べたものである。「意見」とは、さしあたり「あることがらに対して価値や重要性を評価したり、「どうすべきか」という規範を述べたり、賛成・反対の態度を表明したりするもの」と捉えておけばよいだろう。

 中学2年生用の教科書『新編 新しい国語2』(東京書籍)に掲載されている香西秀信「「正しい」言葉は信じられるか」を紹介してみたい。

 香西氏は次の二つの新聞報道を提示し、比較するように求める。
[A新聞]○○大臣を取り囲んだ市民から、多くの質問や疑問の声があがったが、大臣はそれを平然と無視した。
[B新聞]○○大臣を取り囲んだ群衆から、多くの罵声が浴びせられたが、大臣は冷静さを失わなかった。
 どちらもまちがいではない。しかし、与える印象は正反対と言ってもよい。

 私たちの生活に関わるさまざまな事実、人物や社会についての、あるいは娯楽や芸術についての多くの事実には複数の見方があり、事実は多面的なものとして現れる。私たちは自分の見方を絶対視して一面的に決めつけてしまうのではなく、他の見方はないか、事実の多面性に対する感受性を鋭敏にしなければならない。そのためにも、一つのものごとをさまざまに表現する国語力が要求される。

議論の余地があることがらを「前提」にする「狡猾な人」に要注意

 あなたが相手と共有していない意見や見方を含んだ主張を、あたかも事実であるかのようにして語ることは、あなたと異なる意見や見方の余地を締め出そうとするものであり、たんに不適切である以上に、相手を騙そうとしているに等しい。

 こうしたことは議論の場においては決定的に重要である。その議論において共有すべき事実及び共有されている意見や見方を「議論の前提」と呼び、論じるべきことがらを「議論の主題」と呼ぼう。いわば、議論の前提を共通の土俵として設定して、その上で議論の主題について論じあうのである。何が土俵であり何が取り組むべき問題なのかが区別できていないと、議論は混乱するばかりとなる。

 鈍感な人は無自覚に議論の前提と主題の区別を無視する。狡猾な人も議論の主題となるべきことを前提であるかのように語るが、しかしそれを確信犯的に行う。それによって、本当は論じなければならないことを既定のこととして受け入れさせてしまおうというのである。いずれにせよ、相手が議論の主題をあたかも前提であるかのように決めつけてきたならば、その決めつけをはずして、論じるべきことがらとして土俵の上に立たせなければならない。

 では、議論の前提を点検し、決めつけをはずす練習をしてみよう。

問 次の発言は、議論の余地があることを暗黙の前提として決めつけてしまっている。どのようなことが前提されているか、指摘せよ。
(1)買ってきたキャベツに青虫がついてたけど、八百屋に文句言った方がいいかな。
(2)一生独身という憂き目にあわないよう、積極的にお見合いした方がいいと思う。

 狡猾な人は、議論の余地のあることがらなのに決めつけ、議論の俎上にのせることなく、受け入れさせようとする。もっとも単純なやり口は、断定的に、しかも自信満々に言うことである。そして同意しない人を上から目線で「無知」呼ばわりする。だが、こんな態度に屈してはいけない。

問の解答
(1)発言者は八百屋で買ったキャベツに青虫がついていることがクレームの対象となることを当然視しているが、相手の考え方によっては、そもそもその点が議論の主題となりうる。青虫がついているのは、キャベツがより自然な状態に近く、むしろよいことなのだという考え方もあるからである。

(2)お見合いは積極的にやるべきという意見の根拠として、「一生独身の憂き目にあわないよう」と根拠が述べられている。しかし、一生独身でいることを避けるべき「憂き目」としているのは決めつけである。もしあなたが独身は悪くないとか、独身の方がよいと考えているならば、それは議論の余地のある前提となる。

「理由」「原因」「根拠」の別を意識し「循環論法」を避ける

 「根拠」とは、何ごとかを主張するときに、なぜそのように主張できるのかを述べた理由である。根拠を示す必要があるのは考えを述べるときである。事実は正しさがすでに確定していることがらであるから、ある主張が事実であると認められるならば、根拠を示す必要はない。例えば「イタリアの首都はローマである」と事実を述べるのに、根拠を示す必要はない。

 例えば「明日の試験にはここが出ると思う」と推測を述べたとして、どうしてそう思うのか、その根拠が示されないのだとしたら、それはたんなる憶測、当てずっぽうということになる。あるいは、「誰でも一度は歌舞伎を見た方がいい」と意見を述べたとして、どうしてそう言えるのか根拠が示されなければ、それはたんに独断的な意見というにすぎない。

 「理由」も「原因」も「根拠」と似たような言葉であり、しばしば曖昧に使われている。しかしここではそれぞれ異なる意味に区別して用いることにしたい。まず「理由」は、「原因」も「根拠」も含むような意味で用いる。「なぜ?」という問いに対する答えをすべて「理由」と呼ぶことにしよう。理由の中で、「なぜその結果が引き起こされたのか?」の答えが「原因」であり、「なぜそう主張できるのか?」の答えが「根拠」である。

 例1「なぜ鼻水が出るのか?」「花粉が飛んでいるからだ」
 例2「なぜ歌舞伎を見るべきなのか?」「日本の代表的な伝統芸能だからだ」

 例1も例2も理由を答えている。しかし、その理由のタイプは異なっている。例1では、何がどうなってこんなに鼻水が出るのか、その仕組みが問われ、「花粉が飛んでいるから」と答えられる。このように、ある物事が何によって引き起こされたのかを説明する理由が、原因である。

 それに対して例2では、「歌舞伎を見るべきだ」という主張の説得力を高めるために、「日本の代表的な伝統芸能だから」という理由が述べられている。このように、ある主張の説得力を増すために述べられる理由が、根拠である。根拠を示して推測や意見に説得力を与えることは「論証」と呼ばれる。

 示された根拠がまちがったものであれば、それは根拠にはならない。また、ある主張Aの根拠の中に、すでにその主張Aが含まれてしまっている場合、それはけっきょくのところ「AだからAなのだ」と言っているにすぎないものとなる。このような論証は「循環論法」あるいは「論点先取」と呼ばれる。

 例3 民主主義は守らねばならない。というのも、民主主義が否定されるとなんらかの形の独裁制となり、国民主権などありえないことになってしまうからだ。

 「民主主義は守らねばならない」という主張の根拠として、「国民主権などありえないことになってしまうから」と述べられる。しかし、国民主権の否定は、民主主義の否定を意味しているのである。そうだとすれば、けっきょくのところ例3は「民主主義を成り立たせるために、民主主義を守らねばならない」と述べているに等しいものとなる。それゆえ、これは循環論法(論点先取)であり、根拠として成立していない。

コメント

本書にある「推論」「意見」「事実」を分ける、あるいは「前提」を点検するといったトレーニングは、自分自身や会話・議論の相手が「何をどこまでわかっているか」を整理するのに役立つ。整理することで「わかっていないこと」がわかれば、それを調べて新しい知識が得られる。また、「わかっていないこと」を起点に考えをめぐらせることで、新規のアイディアを得られるかもしれない。考えを整理することで、却って頭が柔軟になるのだ。反対に、整理せずに「一知半解」のまま「わかったつもり」になってしまうと、「思い込み」が凝り固まることになりかねない。そうすると誤った結論を導き出したり、進歩や成長が見込めなくなったりするのだ。

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