チャールズ・A・オライリー/マイケル・L・タッシュマン 著 | 入山 章栄 監訳・解説 /冨山 和彦 解説 /渡部 典子 訳 | 東洋経済新報社 | 416p | 2,400円(税別)

解説 なぜ「両利きの経営」が何よりも重要か(入山章栄)
1.イノベーションという難題
2.探索と深化
3.イノベーションストリームとのバランスを実現させる
4.6つのイノベーションストーリー
5.「正しい」対「ほぼ正しい」
6.両利きの要件とは?
7.要としてのリーダー(および幹部チーム)
8.変革と戦略的刷新をリードする
解説 イノベーションの時代の経営に関する卓越した指南書(冨山和彦)

かつて世界最大手の写真用品メーカーだったコダックに代表されるように、技術革新や破壊的イノベーションに対応できずに衰退、破綻に至った大企業は少なくない。その一方で、富士フイルムのように新規事業や多角化に成功した成熟企業もある。その違いはどこにあるのか。キーワードは「両利き」である。本書は、世界最先端のイノベーション理論として欧米で主流になっている「両利きの経営」の、初の体系的解説書である。「両利き(ambidexterity)」とは、知の深化(exploitation)と探索(exploration)を同時にバランスよく行うこと。企業経営では、自社の既存の事業(成熟事業)の漸進的な改善・改良を行いながら、その強みを生かしつつもまったく新しい領域のイノベーション(新興事業)に取り組む戦略になる。本書では、その「両利きの経営」を成功させるためにリーダーが何をどのようにすればいいのかを、失敗例も含む膨大な事例とともに論じている。著者のチャールズ・A・オライリー氏はスタンフォード大学経営大学院教授でリーダーシップ、組織文化、人事マネジメント、イノベーションなどが専門。マイケル・L・タッシュマン氏は、ハーバード・ビジネススクール教授で技術経営、リーダーシップ、組織変革などを専門とする。


既存事業を“深化”しながら新規事業を“探索”する「両利きの経営」

 今日の世界では、変化の流れを逃したり、破壊的イノベーションに対応し損なったりすれば、企業はすぐに倒産に追い込まれてしまう。リーダーはこうした脅威をどう捉えるべきなのか。破壊を免れるためにどうすればよいのか。その答えは一つでないにせよ、少なくとも、業界や組織が破壊的変化に直面したときにリーダーやマネジャーが参考にできる、確かな実用的知見がある。

 すなわち、リーダーは、成熟事業で成功する組織を設計すると同時に、新興事業でも競争しなくてはならない。
 成熟事業の成功要因は漸進型の改善、顧客への細心の注意、厳密な実行だが、新興事業の成功要因はスピード、柔軟性、ミスへの耐性だ。その両方ができる組織能力を「両利きの経営」と私たちは呼んでいる。

 GKNは1759年創業の英国の航空宇宙関連の会社だ。炭鉱業からスタートし、1815年には英国最大手の鉄鉱石生産会社になっている。1864年に締め具(釘、ネジ、ボルト)の生産を始め、1902年には同製品で世界最大のメーカーとなった。その後、GKNは金属鍛造の専門知識を活かして、1920年に自動車部品、さらに航空機部品の生産を開始している。今日では、航空宇宙、自動車、冶金業界で競争力のある年商90億ドル、従業員数5万人を超える企業となった。

 GKNはダイナミック・ケイパビリティ、すなわち「企業が急速に変化する環境に対応するために、内外のコンピテンシー(行動特性)を統合、構築、再構成する能力」をうまく活用することができた。成熟事業における既存の資産と組織能力を有効活用し、必要に応じて、それを新しい強みにつくり替えることに前向きで、かつ、実際にやってのける「両利きの経営」のできるリーダーが存在したからである。

 変化に直面した組織が生き残るには、リーダーは相矛盾する二つの重要なことをやってのけなくてはならない。それは、継続的な漸進型のイノベーションや変革を通じて、既存の資産と組織能力を「深化」すること。そして、既存の資産と組織能力が新規参入者に対する競争優位となりうる新しい市場や技術を「探索」することだ。

USAトゥデイの新聞を維持しつつオンラインを成功させる組織づくり

 新しい事業やビジネスモデルを用いた実験は、既存事業ほどの売上高や利益率につながらないと見なされることが多い。そして、深化に過剰投資し、探索に過小投資する傾向が見受けられる。しかし、一部にはこの困難極まりない状況を巧みに切り抜け、時間とともに進化を遂げてきた企業もある。

 USAトゥデイはガネット社の一部門であり、1982年に全国紙を発行し始めた。そして1990年代後半には全米で最も広く読まれる日刊紙になった。

 とはいえ1990年代になると、特に若者の間で、新聞購読者数が着実に減っていたのだ。テレビやインターネット・メディアでニュースを見る機会が増え、しかも、新聞の印刷コストは急騰していた。力強い成長と利益を維持するには、自社が伝統的な新聞事業を超えて手を広げるしかなく、それには劇的なイノベーションが必要だと、社長兼発行人(当時)のトム・カーリーは心得ていた。そこで、カーリーが打ち出したのが「ネットワーク戦略」である。新聞、テレビ、オンラインで配信するコンテンツ制作に明確に焦点を定めたのだ。

 カーリーは1995年にオンラインニュース・サービス、USAトゥデイ・ドットコムを立ち上げるために、ロレイン・シチョースキーを抜擢。新聞紙事業とは独立して自由にオペレーションを行う権限を与えた。

 ところが、USAトゥデイ・ドットコムはその後の10年、成長は伸び悩み、より広範な事業の業績にインパクトを及ぼすことはほとんどなかった。カーリーの理解では、問題はこの新ユニット(※オンラインを担当するユニット)が新聞事業のオペレーションと隔離しすぎて、新聞社の巨大な資源を活かしきれていないことにあった。

 みんなシチョースキーのユニットを新聞事業の競合と見なしており、彼女の成功に手を貸そうという動機は乏しかった。また、利用可能な資本の大部分は新聞で消費され続けていたため、USAトゥデイ・ドットコムはすぐに資金難に陥った。

 そこでカーリーは、1日1回発行する紙媒体の新聞、USAトゥデイ・ドットコム経由で常時更新するオンラインニュース、テレビという三つのプラットフォームでニュース記事と画像を共有することにした。

 この戦略をやりきるためには、新聞事業を維持しつつ、テレビ放送やオンラインニュースでイノベーションも追求できる組織をつくらなければならないことを、カーリーは承知していた。そこで2000年に、USAトゥデイ・ドットコムのリーダーをジェフ・ウェバーに交代する。ウェバーは社内でネットワーク戦略を強く支持してきた幹部の一人で、新聞部門内で良い人脈を持っていた。

 カーリーは外部からディック・ムーアも引き入れ、テレビオペレーションのUSAトゥデイ・ダイレクトをつくった。オンライン、テレビ、新聞で組織を分けたまま、独特のプロセス、構造、文化を維持し続けたが、カーリーは3事業の上級リーダー・チームに一枚岩になることを求めた。

 事業間の統一を図るために、公正さ、正確さ、信頼性というUSAトゥデイの価値観を補強し、たとえユニットごとに文化の違いがあったとしても、プラットフォーム全体で確実に同じ価値観を持てるようにした。

 オンライン部門とテレビ部門の責任者は編集会議を毎日開く。この編集会議を通じて、大きな視点で統一感を持たせるとともに、具体的なニュースでも細部の統一が図られたのである。人事政策についても、異なるメディアユニット間での異動を奨励し、昇進・報酬決定の際にはコンテンツの共有に積極的だったかどうかが考慮されることになった。

 こうした変革により、USAトゥデイは両利きの組織となった。事業別ユニットは三つだが、力のある経営陣が各事業ライン全体を監督し、要所については統一が図られている(編集会議)。おかげで、ブランドやコンテンツ制作の組織能力を活かして、成熟した日刊紙事業で果敢に競争しながら、強いインターネット・フランチャイズ事業を発展させ、ガネット社傘下のテレビ局に速報ニュースを提供することができたのだ。

探索事業と深化事業にまたがる共通のアイデンティティが重要

 組織のリーダーが既存事業の成功を深化させながら、既存の組織能力を活用して新市場を探索する両利きの経営を行って初めて、長期の成功がもたらされる。

 探索と深化をどちらも同時に実現するためには、それぞれをサブユニットに分けるだけでなく、異なるビジネスモデル、組織能力、システム、プロセス、インセンティブ、文化も必要である。両利きの経営で要求されるのは、リーダーがこうした違いを育んでいくことだ。

 一方で両利きの経営に求められる要素には、探索事業と深化事業にまたがる共通のアイデンティティもある。協力が必要なことを正当化する共通のビジョンがない限り、探索事業と深化事業は互いに邪魔や脅威と見なす可能性が高い。また、ビジョンがあれば、従業員は探索において重要な長期的なマインドセットを身につけやすくなる。

 USAトゥデイでカーリーは戦略的意図(「新聞ではなく、ネットワークになる」)をはっきりと打ち出し、探索ユニットと深化ユニットがいずれも同じ組織の一員として協力し合うべき、正当な理由を示した。そして、組織全体に適用される共通の価値観(公正さ、正確さ、信頼性)という形で、共通のアイデンティティを与えている。

 その結果、具体的な文化規範(顧客志向、リスクのとり方など)はユニットごとに異なるが、価値観自体は共通している。つまり、何が重要かをめぐって、全員が同一の基本的な考えを共有しているということだ。

コメント

「両利き」という言葉は本来、右利きと左利きの両方、すなわち両手を同じように使えることを意味する。これは例えばギターやピアノなど楽器の演奏者にとって有利な特質といえる。だが、両利きの人でも、右手と左手をまったく同じように使わなければならない場面は少ないだろう。楽器の演奏でも、右手と左手にはそれぞれ役割があり、違う動きをすることがほとんどだ。「両利きの経営」も、「探索」と「深化」は異なる動きが要求される。要は、楽器の演奏者、あるいはオーケストラの指揮者のように、両方のバランスを調整し、統合して一つのハーモニーを奏でなくてはならない。単に「両方をやる」だけでは、両利きの効果は望めないのだ。

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