『厨房の哲学者』
脇屋 友詞 著 | 幻冬舎 | 232p | 1,650円(税込)


1.開かずの踏切
2.母と中華鍋
3.雨垂れ石を穿つ
4.魯山人の末裔
5.砂利道のホテル
6.デ・ニーロと窯


【イントロダクション】※3,000字のダイジェストのうち、約300字の要旨のみご覧いただけます。

ラーメン、炒飯、餃子など大衆的な中華料理がポピュラーなためか、本格的な「中国料理」をよく知る日本人は少ないかもしれない。
だが、その普及に貢献しつつ、新しい道を切り拓き続ける、日本を代表する中国料理シェフに脇屋友詞氏がいる。「ヌーベル・シノワ」と称される彼の料理はどのように生まれたのか。

本書は、料理人人生を歩み始めて50年という節目を2023年に迎えた脇屋友詞氏が、生い立ちから現在までの半生を綴った自伝。
1958年、札幌で易学者を父親として生まれた脇屋氏だが、中学2年の時に、「占いで(お前に)食の神様がついていると出た」と言う父と一緒に、東京・赤坂にあった高級中国料理店「山王飯店」を訪れる。そしてその場で話がまとまり、15歳で同店の厨房で働き始めることに。そこではひたすら鍋洗いをしていたが、料理人への道は険しかった。当時の日本の中国料理店では、「親方」と厨房で呼ばれる料理長をはじめとする主たる料理人を中国人に限る慣習があったからだ。

著者の脇屋氏は現在、東京で4店舗のオーナーシェフを務める。1985年に「リーセントパークホテル」の中国料理部料理長、92年に同ホテル総料理長になる。96年、「トゥーランドット游仙境」代表取締役総料理長に就任。2001年、東京・赤坂に「Wakiya一笑美茶樓」を、23年12月に「Ginza脇屋」をオープン。


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