【海外書籍】なぜGoogleは第二の開発拠点をスイスに置くのか【ダイジェスト全文掲載】
テクノロジー
2026.02.05
『公平なイノベーションをめざして』
-シリコンバレー型ハイテク経済が生む「格差」を防ぐ
Innovation for the Masses: How to Share the Benefits of the High-Tech Economy
Neil Lee 著 | University of California Press | 248p
1 起業文化を育む
2 企業との協働を受け入れる
3 キャンパスリーダーの連携と地域パートナーの育成
4 エコシステムの活性化
5 巨大組織の調和と活用
6 継続的成長とミッションの整合性
7 戦略的な結論
【イントロダクション】
多くの先進国や新興国が、経済発展の原動力として「イノベーション」を推進する政策を打ち出している。だが一方で、イノベーションには、所得や富を少数の手に集中させ、労働市場を二極化し、地域格差を生むといったデメリットもある。
格差を生じさせないイノベーション政策は果たして可能なのだろうか。
米国のカリフォルニア大学の出版部門で刊行された未邦訳の本書では、国や地域がイノベーションとその恩恵の公平性を担保する政策について、台湾、スウェーデン、オーストリア、スイスの事例研究をもとに、その可能性を探っている。
たとえば世界屈指のハイテク産業を擁するスイスでは、徒弟制度や応用科学大学といった実践的な職業教育の制度を整えることで、労働者の職能の高度化に成功しているという。
著者のニール・リー氏は経済学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授を務める。
所得格差、労働者の二極化、地域格差を生む「イノベーション」
多くの国や地域が成長戦略の中核に「イノベーション」を据えている。だが、こうした戦略には、デメリットもある。イノベーションの推進は、富の集中と労働市場の二極化をもたらし、地域格差も生みかねないのだ。フランスなど少数の例外を除き、先進国の大半では所得格差が長期的に拡大している。
巨大テック企業をはじめとするイノベーティブな企業に所属する労働者は、概ね高賃金という恩恵を受けている。しかしその恩恵は、平等に与えられているわけではない。イノベーションによる収益の分配は、所得上位25%の層に偏る傾向がある。
また、OECDによる1995年から2015年までの雇用の変化に関するデータからは、加盟国全体で雇用市場の二極化傾向が明確に見られる。高技能職と低技能職が増加する一方で、その中間にあたる層の雇用が減少しているのだ。さらに、高技能職と低技能職を比べると前者の方が増加幅が大きく、二極化だけでなく「専門職化」に近い現象がうかがえる。
また、企業によるイノベーションは、地域経済にも影響を与える。近距離の他社を巻き込みエコシステムが形成されれば、他社の収益につながるだけでなく、スキルも伝達されやすい。それにともない高技能職が増え、その地域全体の賃金水準も上昇する。そうすると、他の地域との賃金格差が生じることにもなる。
このような格差をなくし、イノベーションがもたらす恩恵を偏りなく分配するための制度設計の事例を、スイスやオーストリアなどに見ることができる。たとえば、既存技術を持ち寄ることでニッチ市場におけるイノベーションを起こす中小企業ネットワークは、企業間で利益が偏在するのを防ぐことができている。また地方政府が積極的に域内の先進企業によるイノベーションを支援し、その結果として得られた税収などをすべての企業に公平に分配するなどのケースもある。
教育とイノベーションの緊密な連携が進められるスイス
スイスは、世界知的所有権機関(WIPO)が作成するグローバル・イノベーション指数のランキングで常に首位をキープしている。また、他の学術機関によるランキングでも、スイスは8のイノベーション指標のうち6指標で首位、残り2指標で2位となっている。
スイスの産業上の強みとしてよく知られているのは医薬品と時計だ。だが一方で近年は暗号資産やハイテク部品といった新興テクノロジーも、同国の産業を特徴づけている。あまり知られていないが、スイスの一人当たりのユニコーン企業数が世界一という事実もある。
また、スイスには、グーグルにとって米国外でもっとも重要な第二の研究開発拠点が置かれている。グーグルの経営陣がスイスを選んだ理由は、生活の質の高さだけでなく、ETH(スイス連邦工科大学)やチューリッヒ大学で育成された高度な人材を雇えるとともに、ETHの研究施設に比較的簡単にアクセスできるということにあった。
スイスでは他の多くの先進国と同様に中技能職が減少したものの、この変化が賃金格差を拡大させたようには見えない。2008年から2015年にかけて、スイスでは賃金中央値の3分の2未満の職種における雇用が減少する一方で、中間層と上位層では雇用が増加した。つまり、低所得層の雇用増加を伴う二極化ではなく、明らかに技能の高度化や専門職化が進んだのである。
スイスでは、連邦政府に「教育・研究・イノベーション国家事務局(SERI)」が設置されており、国全体で教育とイノベーションの緊密な連携が進められている。
スイスの教育制度には、優れた職業教育が組み込まれている。徒弟制度(Apprenticeships)と呼ばれる、14歳で義務教育が終了した後(*高校に進学しない者が)、週のうち1~2日は学校での座学、残りは企業内で実務を行うという、企業研修と学校教育が融合したカリキュラムである。
徒弟制度は、企業が求めるスキルを備えた労働者を確保できるとともに、学生が着実なキャリアを歩む手助けをしてくれるものだ。なお、徒弟制度を利用する学生は、同制度の終了後、希望すれば応用科学大学(Universities of Applied Sciences)などの高等教育機関で学習を継続することができる。
応用科学大学は、徒弟制度卒以上の高等教育を必要とする者に向けた教育機関であり、スイス政府のイノベーション推進の方針に沿った教育が行われる。1997年から2003年までの間に、スイスの各地に9校の応用科学大学が設置されたが、それらの立地は、全国どこからでもアクセスが可能なように配慮されている。
応用科学大学は、スタンフォードやケンブリッジのような世界大学ランキング上位に位置する研究大学とは異質だ。高度な研究成果を争うのではなく、地域のビジネスニーズに合った技能を持つ労働者を育成している。研究面では、地元企業に共同研究の機会を提供し、イノベーションを起こす手助けをする。
既存の産業を高度化させるイノベーション政策を打ち出すオーストリア
1998年から2016年の間の研究開発費の伸びにおいて、オーストリアはOECD加盟国の中で、1位の韓国に次ぐ高い数値を示している。その劇的な伸長は、同国のイノベーション政策によってもたらされたと考えられている。
オーストリアのイノベーション政策には2本の柱がある。一つは補助金および研究開発税額控除制度といったかたちでの直接的な財政支援であり、もう一つは新たな高等教育機関(応用大学:Fachhochschulen、FH)の整備である。
財政支援に関わるオーストリアの戦略には、隣国にはない研究開発税額控除制度をエサにして、ドイツ企業を呼び込むこともあった。結果として、狙い通りに熟練労働者を有する多数のドイツ企業がオーストリアに進出した。
同国の研究開発費を増加させたイノベーションの特徴は、旧来の産業やビジネスモデルを新しいものに置き換える「創造的破壊」ではなく、既存の産業やビジネスを高度化させたものだった。
鉄鋼や機械といった伝統的に低・中技術産業と思われていた産業の中にも、高度化の可能性を秘めたものが多く見られた。
鉄鋼大手のフォイストアルピネ社(Voestalpine)は、一般鋼材の生産ではグローバル競争に対応できなかった。しかし、航空機や、低燃費のエコカーなどの自動車に使われる、薄くても強靭な鋼板など、高品質かつ高利益率の鋼材に軸足を移したことが功を奏し、2018年までに同社の売上高は急伸し110億ドルを超えた。
オーストリアのイノベーション政策がもっとも成功したのがシュタイアーマルク州である。過去の同州の経済は鉄鉱石と鉄鋼生産に支えられていたが、1970年代から80年代にかけて鉄鋼生産が減少し、鉄鋼業が深刻な不振に見舞われた。その後、同州の経済は復活するのだが、それには州政府や企業間のネットワークが大きな役割を果たした。
州政府の支援のもと、シュタイアーマルク州内のグラーツ大学、グラーツ工科大学、グラーツ医科大学、レーベン大学などがイノベーションを生み出す技術や知見を提供し、それらの産業転用を推進。そうした動きは仕組み化され、既存企業の高度化を可能にするイノベーションシステムへと発展した。
1990年には連邦政府が、地域のニーズに即した応用研究と実践的な職業教育を重視した応用大学の設立を決定。シュタイアーマルク州では、1995年に設立されたヨアネウム応用大学(グラーツ、山岳地帯のカプフェンベルク、州南部のバート・グライヒェンベルクの3拠点がある)に、医療、低エネルギー建築、ドローン技術などの課程が開設されるとともに、技術移転センターが作られた。
オーストリアの人口のうち約14%を占めるにすぎないシュタイアーマルク州は、優れたイノベーション政策の結果として、国内の研究開発費増加分の約23%を担った。
※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの
コメント
スイスとオーストリアの事例に共通するのは、既存の技術や地域のニーズに沿った職業教育を重視している点だ。ハイレベルの教育研究でシリコンバレー型の「天才」をすくい上げるのではなく、着実な技術・技能を備えた人材の「底上げ」を図ろうとしているようだ。そうして育った人材が行政の支援を受けることで、格差を最小限に抑えた「公平なイノベーション」が実現するということなのだろう。どちらかのタイプのイノベーションが優れているというわけではなく、両者が併存することで、健全な経済発展が可能になるのではないだろうか。
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