原題:Man of Honor | Harmanto Edy Djatmiko/Teguh Sri Pambudi 著 | PT GRAMEDIA PUSTAKA UTAMA | 708p


1.留年
2.火の海に咲いた恋の花
3.監獄と神
4.サバン通りから夢をつかむ
5.大博打とカミオ氏
6.風を求め続けて
7.悲しい結婚記念日
8.金のなる大樹
9.三本の矢
10.嵐に翻弄されて
11.ロビー活動の師
(他、全25章)


インドネシアでは、自動車といえばトヨタ、オートバイといえばホンダと言われるほど、この2社は圧倒的な販売シェアを誇っている。このトヨタとホンダ両社と、インドネシアにおける独占販売・生産契約を結んでいる企業がアストラ・インターナショナルである。本書は同社の創業者でありインドネシア実業界の「レジェンド」の一人でもある故ウィリアム・スルヤジャヤ(中国名チア・キアン・リオン)氏の評伝。インドネシアの権威ある大手ビジネス誌である「SWA」の編集者が、関係者約60人へのインタビューをもとにまとめた。12歳で両親を失ったウィリアムは生活のためにさまざまな商売を手がけ、ビジネスチャンスを逃さない迅速さ、一度決めたら多少無謀に見えても突き進む大胆さを武器に、一代でアストラ・インターナショナルを巨大企業に成長させた。


世話をした弟からの恩返しがアストラ設立のきっかけ

 ウィリアム・スルヤジャヤは1922年にインドネシア・マジャレンカに生まれた。幼少期のウィリアム(当時は中国名のチア・キアン・リオンを使用)は、学校の成績はそれほど良くなかった。しかし、友だちと遊びや、ボーイスカウトの活動を通じて、後の仕事にもつながるコミュニケーション能力やリーダーシップを磨いていった。
 ところが12歳のときに父親がチフスに罹り急逝。母親もそのわずか2カ月後に亡くなり、ウィリアムは孤児になる。

 1942年に日本軍がインドネシアに侵攻する。当時のウィリアムは古紙、布地、大豆油、米、砂糖などを売って生計を立てていた。だが、いきなりやってきた日本軍は、現地住民が昼間にトラックを使用することを制限した。これでは商売が成り立たないと困った彼は、日本語がまったくわからないまま、日本軍との交渉に挑んだ。結果、お金を払うことで日本軍からトラックを借りて使用することで決着。これはウィリアムにとって人生最初の日本人との折衝であり、物流を確保することの大切さを思い知らされる出来事だった。

 その後、弟のキアン・ティーが奨学金でオランダの大学に留学することになった。病弱な弟を心配したウィリアムもアムステルダムにわたり、弟の面倒をみるかたわら、自らもビジネススクールに通った。
 3年半の後、帰国したウィリアムは商売を再開することにした。1952年に貿易会社を設立。当初は順調にビジネスを進めることができたが、ある日、仕事仲間に裏切られる。脱税を密告され、警察に逮捕されたのだ。確たる証拠は見つからず、裁判さえ開かれなかった。それでもウィリアムは刑務所に拘留されることになる。

 人あたりが良く、温厚な性格のウィリアムは、刑務所でも囚人や看守とすぐに仲良くなった。そのときに知り合った中には、生涯親交をもつことになる人たちもいた。また、拘留生活は彼に信仰心を芽生えさせる。毎日熱心に祈った。祈りが通じたのか、それからまもなくウィリアムは釈放される。

 ウィリアムは再びゼロからやり直さなければならなかった。彼には二人の弟がいたが、末弟のベンジャミンはそんな兄の窮状を見かねて次弟のキアン・ティーに相談を持ちかけた。
 キアン・ティーは大学卒業後もアムステルダムに残っていたが、急きょ帰国。兄・ウィリアムのために、輸入業の事業許可を得ている会社を知人から買い取る手はずを整えた。これは、オランダ留学中に世話になった兄への恩返しだった。

 彼は兄に、買い取った会社の名前を「アストラ」に改名することを提案した。ギリシア神話で、人類が堕落していく中で最後まで正義を説き、天に昇って輝く星座(乙女座と言われている)になった女神「アストライアー」が語源だ。
 こうして1957年2月20日、ジャカルタに貿易会社「アストラ・インターナショナル」が誕生した。創設時の社員は4人しかいなかったが、ウィリアムは志を示すためにあえて「インターナショナル」を社名につけた。

トヨタとの提携で日本企業からの信頼をつかむ

 当時のインドネシアはハイパーインフレに見舞われており、インフレ率が1965年は500%、1966年は640%という凄まじさで、国内経済は崩壊の危機にあった。そんな状況にも負けずウィリアムは根気強くビジネスチャンスを探し続けた。ダム建設の物資調達から、コンビーフや歯磨きの販売代理店まで、ありとあらゆる事業を手がけていったのだ。

 オルデ・バル(1960年代半ばからの新しい政治体制)成立後、日本と米国の自動車会社がインドネシア進出を狙っていた。それに対しインドネシア政府は、「完成車の生産(組み立て)を国内で行うこと」および「販売を国内代理店を通して行うこと」という二つの条件を出した。
 それを知ったウィリアムはすばやく動いた。さまざまな手段でお金をかき集め、古い自動車組立工場を買い取った。そして1969年、アストラはトヨタ自動車と業務提携契約を締結、トヨタ車の現地生産と販売を一手に請け負うこととなる。

 このトヨタとの提携が、その後のアストラの躍進の大きなきっかけになった。トヨタとパートナーになったことで、無名の小さな会社にすぎなかった同社が日本企業に認められるようになったのだ。アストラは、1970年代にはホンダ、富士ゼロックス、ダイハツといった日本企業と次々に提携を取りつけていく。ウィリアムはこうした提携に多額の投資をすることを惜しまなかった。さらにアストラは、修理工場やサービスセンターなどの顧客サービスも充実させていった。

 このようにウィリアムは、情報をつかまえるや否やすばやく動き、ただ商品を売るだけでなく、さまざまな業務を組み合わせて「産業」をつくり上げていった。そんな彼の事業拡張を「野心的」「貪欲」と評する人は少なくない。しかし彼の本心は「新しい職場をつくり出し、国内の雇用機会を広げる」ことにあったという。

 アストラは1980年代末には24の分野に235の企業、27,000人の従業員を抱える大企業グループとなり、1990年には株式上場を果たした。

 「チャンスは二度と来ない」と常に考えるウィリアムは、新たなビジネスチャンスを嗅ぎつけると、損得計算などを細かくする暇もなく即座に飛びつくことが多かった。ある日ウィリアムはトイレで用を足しているときに、部下の一人と隣り合わせになった。部下は世間話のように「エンジンオイルは良いビジネスチャンスですよ」と話しかけた。ウィリアムはファスナーを上げながら答えた。「私がお金を出すからやってみなさい」。その後半年も経たないうちにアストラ・グループにエンジンオイルの販売会社が設立された。

 後に「インドネシア自動車産業の父」と呼ばれたウィリアムは、その異名の通り、自動車業界を中心に事業を拡大し、インドネシア第二の富豪になった。だが一方で、不安も抱いていた。アストラが為替に左右される事業だけに頼っていてはリスクが高すぎるのでは、と考えたのだ。

 そうしたリスクを避けるために、彼は農業に進出することにした。200ヘクタールの土地におけるキャッサバ(タピオカの原料になるイモを収穫できる低木)栽培から始めてアブラヤシへと発展したマルチ・アグリビジネスは、2011年にはアストラ・インターナショナルの総利益の13.99%を占めるまでに成長した。

80歳近くになってから「小さなアストラ」をつくる

 1991年、ウィリアムの長男が経営するスンマ銀行が巨額の赤字を計上し、1992年末に倒産。それを機に70歳になったウィリアムは自身の所有するアストラ株を手放す決断をした。

 それから歳月を経て、80歳近くなったウィリアムは、再び新たな人生に踏み出すことにした。「またアストラをつくろう。小さいアストラを」。ウィリアムの熱意は老いても変わらなかった。

 長年にわたりウィリアムを支えてきた姪のメラニーは、1995年から2001年にかけて、残っていたウィリアム個人所有の十数社を、農・水産業、レンタル業など五つの企業に整理した。ウィリアムは雇用が奪われるとして企業を閉鎖することを嫌がったが、メラニーは懸命に説得した。そうした苦労が実り、2003年にはこれらの企業でようやく利益を出せるようになった。2008年には総従業員数は1,200人まで増えていた。

 2010年4月2日、ウィリアムは愛する家族に見守られて88年の生涯を終えた。3日後の埋葬の日、墓地には1,410人の従業員たちがつくった5枚の横断幕が風になびいていた。「新しい場所から私を見守ってください。さようなら。また会いましょう」

コメント

インドネシアでは30以上の財閥が「コングロマリット(複合企業体)」を形成しており、アストラ・インターナショナルもその一つだ。これらの財閥のほとんどが中国系であり、インドネシア経済は中華系財閥に支配されていると言っても過言ではない。ウィリアム・スルヤジャヤは中国系ではあったが中国語がまったく話せず、シンガポールや香港などに財産の拠点を築くこともしなかった。従業員を民族や宗教で差別をするようなこともせず、国の繁栄のために雇用機会を広げることを念頭にアストラを「インドネシアの企業」として成長・事業拡大させることに邁進したのである。

新着ダイジェストが2週間分届く、無料試読もございます。
試読と購読のお申込みはこちらから。

企業でSERENDIPの導入をご検討の方は、法人向けページをご覧ください。
法人利用をご検討の方 はこちら>

関連記事